薪を割る(駐在員椎名カブール日記)
2月のはじめに降った雪も溶け、チャリカでは少しずつ春らしい陽気になってきた。
チャリカ事務所では今年度の事業に向けての調査や準備に追われているが、事務所に住み込んでいる現地スタッフはその合間に、食事のアレンジや洗濯などの仕事を分担、持ち回りにしたりしてやっている。薪割りもそのひとつである。
ある日の午後、昼食を腹一杯食べた私は、食後の運動にと薪割りをはじめた。私はこれまでに薪割りの経験があるわけではない。スタッフがやっているのを見たことがあるだけである。見よう見まねで私は斧を取り出し、薪めがけて振り下ろした。どっという笑いが私の背後で起きる。私の振り下ろす斧の奇妙な音を聞きつけて、現地スタッフ達がいつのまにか集まってきていたのだった。私の斧は薪を大きく逸れて地面を叩き、事務所はいつまでたっても寒風に吹かれたままである。
やみくもに斧を振り回していた私は次第に、斧の重さを感じながら振るえるようになってきた。日がたつにつれ、柄のバランスや持つ位置が手に馴染み、斧の重みをストレートに薪に伝えられるようになってきた感じがする。薪が割れた瞬間は本当にスカッとする。でも事務所での私の斧の評判はさっぱりで、スタッフの女性に「私のほうがまだましだわ。」と微笑まれてしまうほどである。我ながら情けない。
私が薪割りをしていると、スタッフの何人かが見かねてか「ちょっと貸してみろ」とばかりに私から斧を取り上げ、薪割りをはじめる。皆とても上手に斧を使う。自分がどれだけ上手に割れるのか、皆に自慢したいのだ。一人がはじめるとまた一人とリレーのように薪割りをするので、私の割る薪がなくなってしまうのではないかと不安になるほどである。仕事であった薪割りが、いつのまにか娯楽の一環になってしまった。まるでトムソーヤに出てくるペンキ塗りみたいだ。仕事もやり方によってはこんなにも楽しい。
私が密かに“マスター”と呼んで尊敬しているのが、事務所のガードの一人である老人である。彼の年は60歳を超え、アフガンでは高齢といっても良いのに、実に器用に斧を使う。無理をせず、力を使わずに斧の重みをうまく使って薪を割る。私の目指す振り方である。私は感心してただ彼の薪割りを眺めるばかりである。
昼休みが終わり、仕事に戻るスタッフと共に事務所に入った私がふと庭先に目を向けると、マスターが身をかがめてさっきまで私が薪割りでやり散らかした場所を掃き、小さな木片も無駄にせずに倉庫に運んでいる姿が目に入った。はっと身が引き締まる思いがする。私はアフガニスタンで得意げに斧を振り回してばかりいないだろうか。振り回した後、その場に残った木片のような、小さいけれども無駄には出来ない成果や人々との絆をなおざりにしてはいないだろうか。私はあらためて報告書に目を通し、今年の事業の準備に取りかかる。去年の結果を無駄にしない為に。せっかく生まれた復興の兆しを消さないように。暖炉の中では、すぐに大きな薪には火がつかず、小さな木片につけた火をうつすのが一番早くてよく燃える。