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2003年3月13日 (木)

焦燥と希望の間(駐在員椎名カブール日記)

 「この国はひどい。カブールはもう駄目じゃ。でもアフガニスタンには村がある。人々がやさしく、親切な村が。」

 ある欧米のNGOが招待してくれたパーティで出会った年配のNGO職員が、独り言のようにつぶやく。その声はタバコの煙のように暗闇に揺らいで、吸い込まれる。

 この国でしばらく働いている人の口からため息と共に出るのが、この国とこの国の人々に対する落胆と諦め、憤りと不安の言葉である。復興は遅々として進まず、人々はただ一時的な緊急支援をもらうことばかり考えている。ローカルスタッフが堂々とお金をごまかす。国際機関の事務所が武装グループに襲われ、活動資金を奪われた。問題を話し合うミーティングでは国際機関へのお願いばかりが提示され、アフガン人自身で何とかしようとする気が感じられない等々…。暗澹たる空気が話している私達の間に漂う。

 「アフガン人に税制を確立する気がない限り、この国は駄目だよ。うちのスタッフでさえ、この国の復興のために税金を払う気さえない。共産主義の影響だろうか。教育や医療などのサービスはどこかから降ってくるわけではないのに。」

 「この国を動かしている人間の中にも、税制を作ると自分の利益が減って困る人々がいるんじゃないかな。だから税制を作らない。省庁はいつもスタッフを送迎する車が欲しいだとか、お金がなくて活動できないだとか言って国際機関に文句ばかりいっているけど、どうして予算がないのか、その理由を考えたりしないのかな。」

 「この国のシステムがしっかり税金を集めて、正しく使えるとも思えないけれどね。」

沈黙。

 そんなある日、私はカブールの警官が喧騒の中で、足を失い、松葉杖をついている男性を助け、彼がタクシーに乗るのを丁寧に補助している光景に出会う。その警官が笑顔でタクシーを見送っているのを見ていると、この国は少しずつでもいい方向に動いているかもしれない、という気持ちになることができる。97年からアフガニスタン支援に係っているという、スイス人の女性が話してくれた言葉がぼんやり私の脳裏に浮かぶ。「昔は、アフガンの女性が国際スタッフとこうして一緒に食事をすることなんて考えられなかった。女性同士でも、なるべく人目につかないように、きっちり時間を決めて車で送迎をして…。カブールも変わったわ。」私の隣に座っていたアフガン女性が話し出す。「以前、町で買い物をしていて、品物がよく見えなかったから、ブルカの前をめくって見ようとしたら、突然肩を何かで殴られたの。驚いて振り返ったらタリバン兵が立ってた。私、走って家に逃げ帰ったわ。」タリバン時代、目の部分のメッシュは広さが決められていたのだという。最近、その部分が広くなったブルカもあると聞いた。少なくともカブールでは現在、ブルカを被らない女性を見ることも出来る。

 私たちは、このアフガニスタンの焦燥と希望の間に立って活動している。どちらとも、今のアフガニスタンの姿だ。解決すべき問題は多く、支援の力、継続性は不確実である。けれど、この国では「それでも!」と言える人が悩みながらも支援活動を続けている。

3月 13, 2003 事務所・スタッフ |

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