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2003年3月26日 (水)

薪を割る(駐在員椎名カブール日記)

 2月のはじめに降った雪も溶け、チャリカでは少しずつ春らしい陽気になってきた。

 チャリカ事務所では今年度の事業に向けての調査や準備に追われているが、事務所に住み込んでいる現地スタッフはその合間に、食事のアレンジや洗濯などの仕事を分担、持ち回りにしたりしてやっている。薪割りもそのひとつである。

 ある日の午後、昼食を腹一杯食べた私は、食後の運動にと薪割りをはじめた。私はこれまでに薪割りの経験があるわけではない。スタッフがやっているのを見たことがあるだけである。見よう見まねで私は斧を取り出し、薪めがけて振り下ろした。どっという笑いが私の背後で起きる。私の振り下ろす斧の奇妙な音を聞きつけて、現地スタッフ達がいつのまにか集まってきていたのだった。私の斧は薪を大きく逸れて地面を叩き、事務所はいつまでたっても寒風に吹かれたままである。

 やみくもに斧を振り回していた私は次第に、斧の重さを感じながら振るえるようになってきた。日がたつにつれ、柄のバランスや持つ位置が手に馴染み、斧の重みをストレートに薪に伝えられるようになってきた感じがする。薪が割れた瞬間は本当にスカッとする。でも事務所での私の斧の評判はさっぱりで、スタッフの女性に「私のほうがまだましだわ。」と微笑まれてしまうほどである。我ながら情けない。

 私が薪割りをしていると、スタッフの何人かが見かねてか「ちょっと貸してみろ」とばかりに私から斧を取り上げ、薪割りをはじめる。皆とても上手に斧を使う。自分がどれだけ上手に割れるのか、皆に自慢したいのだ。一人がはじめるとまた一人とリレーのように薪割りをするので、私の割る薪がなくなってしまうのではないかと不安になるほどである。仕事であった薪割りが、いつのまにか娯楽の一環になってしまった。まるでトムソーヤに出てくるペンキ塗りみたいだ。仕事もやり方によってはこんなにも楽しい。

 私が密かに“マスター”と呼んで尊敬しているのが、事務所のガードの一人である老人である。彼の年は60歳を超え、アフガンでは高齢といっても良いのに、実に器用に斧を使う。無理をせず、力を使わずに斧の重みをうまく使って薪を割る。私の目指す振り方である。私は感心してただ彼の薪割りを眺めるばかりである。

 昼休みが終わり、仕事に戻るスタッフと共に事務所に入った私がふと庭先に目を向けると、マスターが身をかがめてさっきまで私が薪割りでやり散らかした場所を掃き、小さな木片も無駄にせずに倉庫に運んでいる姿が目に入った。はっと身が引き締まる思いがする。私はアフガニスタンで得意げに斧を振り回してばかりいないだろうか。振り回した後、その場に残った木片のような、小さいけれども無駄には出来ない成果や人々との絆をなおざりにしてはいないだろうか。私はあらためて報告書に目を通し、今年の事業の準備に取りかかる。去年の結果を無駄にしない為に。せっかく生まれた復興の兆しを消さないように。暖炉の中では、すぐに大きな薪には火がつかず、小さな木片につけた火をうつすのが一番早くてよく燃える。

3月 26, 2003 事務所・スタッフ |

2003年3月13日 (木)

焦燥と希望の間(駐在員椎名カブール日記)

 「この国はひどい。カブールはもう駄目じゃ。でもアフガニスタンには村がある。人々がやさしく、親切な村が。」

 ある欧米のNGOが招待してくれたパーティで出会った年配のNGO職員が、独り言のようにつぶやく。その声はタバコの煙のように暗闇に揺らいで、吸い込まれる。

 この国でしばらく働いている人の口からため息と共に出るのが、この国とこの国の人々に対する落胆と諦め、憤りと不安の言葉である。復興は遅々として進まず、人々はただ一時的な緊急支援をもらうことばかり考えている。ローカルスタッフが堂々とお金をごまかす。国際機関の事務所が武装グループに襲われ、活動資金を奪われた。問題を話し合うミーティングでは国際機関へのお願いばかりが提示され、アフガン人自身で何とかしようとする気が感じられない等々…。暗澹たる空気が話している私達の間に漂う。

 「アフガン人に税制を確立する気がない限り、この国は駄目だよ。うちのスタッフでさえ、この国の復興のために税金を払う気さえない。共産主義の影響だろうか。教育や医療などのサービスはどこかから降ってくるわけではないのに。」

 「この国を動かしている人間の中にも、税制を作ると自分の利益が減って困る人々がいるんじゃないかな。だから税制を作らない。省庁はいつもスタッフを送迎する車が欲しいだとか、お金がなくて活動できないだとか言って国際機関に文句ばかりいっているけど、どうして予算がないのか、その理由を考えたりしないのかな。」

 「この国のシステムがしっかり税金を集めて、正しく使えるとも思えないけれどね。」

沈黙。

 そんなある日、私はカブールの警官が喧騒の中で、足を失い、松葉杖をついている男性を助け、彼がタクシーに乗るのを丁寧に補助している光景に出会う。その警官が笑顔でタクシーを見送っているのを見ていると、この国は少しずつでもいい方向に動いているかもしれない、という気持ちになることができる。97年からアフガニスタン支援に係っているという、スイス人の女性が話してくれた言葉がぼんやり私の脳裏に浮かぶ。「昔は、アフガンの女性が国際スタッフとこうして一緒に食事をすることなんて考えられなかった。女性同士でも、なるべく人目につかないように、きっちり時間を決めて車で送迎をして…。カブールも変わったわ。」私の隣に座っていたアフガン女性が話し出す。「以前、町で買い物をしていて、品物がよく見えなかったから、ブルカの前をめくって見ようとしたら、突然肩を何かで殴られたの。驚いて振り返ったらタリバン兵が立ってた。私、走って家に逃げ帰ったわ。」タリバン時代、目の部分のメッシュは広さが決められていたのだという。最近、その部分が広くなったブルカもあると聞いた。少なくともカブールでは現在、ブルカを被らない女性を見ることも出来る。

 私たちは、このアフガニスタンの焦燥と希望の間に立って活動している。どちらとも、今のアフガニスタンの姿だ。解決すべき問題は多く、支援の力、継続性は不確実である。けれど、この国では「それでも!」と言える人が悩みながらも支援活動を続けている。

3月 13, 2003 事務所・スタッフ | | コメント (0)