地雷原に触れる1(駐在員椎名カブール日記)
6の村で500軒のシェルター事業を行なっていると、どうしても全ての受益者の方にいつもお会いできるわけではない。足を棒にして1日中歩き回っても40軒をまわるのがせいぜいである。全ての受益者の顔や家族の方を記憶するのも難しい。けれど、受益者をまわる内、自然と印象に残る出会いというものがある。イスラマディンとの出会いも、そんな出会いの1つだ。
私が彼の村を訪れたのは、シェルター事業も終盤を迎えた今、その建設作業を見届けて最終確認をするためだった。私は一人のフィールドスタッフを連れてここ数日村々を歩き回り、シェルター事業の受益者を訪ねながら作業の完了を促したり、記録の為写真をとりながら受益者から話を聞いていたりしていた。イスラマディンにもそんな受益者の一人として話を聞いたのだった。
彼はコックとして働く父を持つ、10人家族の3番目の息子である。カブールで7年間の国内避難民生活を送った後、故郷に帰ってきたという。上の2人の兄はイランに難民として出て以来連絡が途絶えている。彼は10代前半の若さで母親を支えながら、父親のいない間家を守っている。私の訪問に際し、兄弟と共に戸口に出てきた彼は、寒空の下シャツに薄いジャケットしか羽織っていなかった。
私が彼に関心を持ったのは、そのシェルターを見たからだ。猫の額ほどの土地に、決して上手に出来ているわけではないが、彼を中心に兄弟が力を合わせて建てたという日干し煉瓦の住居は、彼らの手形が浮き出て見えるようだった。イスラマディンはトイレの設置を促す私の言葉に注意深く耳を傾け、私たちはしばらく一緒に話し合った。家の経済状況は決して良くない事は見た目にも明らかなのに、彼は決してこびへつらったりせずに、年下の兄弟達をあやしながら、私たちは全てを無くしてしまったけれど、日本の支援のおかげで自分達の家を見つけることが出来た、とても感謝していると丁寧なお礼を述べてくれた。彼の妹がはにかみながら、私を見上げる。
私はふと、この瞬間のために自分はこの仕事を続けていると感じる。彼らが私達と一緒に働いてくれた事に感謝する。
どんなに一生懸命支援をしていても、至らないことで受益者との間に誤解や行き違いが生じ、彼らと口論になることがある。受益者の方の一部から非難され、場合によってはもうかかわらないでくれと言われる事もある。どうしてもこちらの意図が伝わらずにそう言われる瞬間は、重い岩を急に受け止めるような気分になる。私はそんな時、重たい足を引きずりながら、私のこの5ヶ月は何だったのだろうと、じっと自分の足元を見ながら歩く事になる。だから、受益者の方にお礼を言ってもらえたときは本当にほっとする。今回彼が私としっかり向き合ってお礼を言ってくれた時、私は彼の家族を支援出来た事を嬉しく思うことが出来たし、あの暑い夏のさなかの建設作業について、あれはお互い大変だったよなあと、肩をたたき合いたい気持ちになった。大げさではなく、私は彼のような受益者に会えたことで、アフガニスタンに来て良かったと、素直に思うことが出来たし、父親と同じようにコックになりたいという彼の夢が、近い将来実現する事を祈らずにはいられなかった。
地雷原の脇を歩いたのは、そんな出会いのすぐ後のことだった。
1月 9, 2003 事務所・スタッフ | Permalink
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