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2003年1月16日 (木)

地雷原に触れる2(駐在員椎名カブール日記)

16  イスラマディンの住む村は北に延びる主要道路の脇にあり、タリバンと北部同盟の戦場になった場所にある。今でも地雷や不発弾が散在し、家屋の横に戦車砲の薬きょうが並べてあったりする。現在、幾つかのNGOがジェンの活動地域で地雷除去活動をしているけれど、まだこの道路脇の除去作業でさえ終わっていない。除去員は一人ずつ地面にうずくまり、地表を少しずつ削りながら作業をしている。その姿はまるで、小さなヘラで大地を黙々とひっかいているかのよう見える。危険な“現代“遺跡発掘、考古学調査。掘り当てるのは私たち人間のおろかな歴史ばかりだ。アフガンでの地雷除去にかかわる友人の話によると、住宅地での除去にあと5年かかる予定だということだが、本当にそれだけで終わるのだろうか。気が遠くなる。 村人の案内で村を回るうち、真新しく赤と白に塗り分けられた石の列が現れる。地雷原のしるしである。私はその石の列にはさまれた小道を歩いて次の受益者に会いに行くのだ。しばらく行くとその石の列が途絶え、草むらの中に1本道が見えた。私は村の人々が先導する中、その道を歩く。一緒に回っているスタッフが「私の後ろを歩いて。足元に気をつけて。」と言って表情を険しくする。村人が普段使っている道だけれど、正直私は足が震えた。先ほど見た、赤くマーキングされた石が血塗られた石のように思えてくる。歩きながら、私は以前現地の地雷除去員に聞いた話を思い出す。「マーキングされた石が置いてある場所は危険だから近づかない方がいい。石がない場所も、チェックされていないということかもしれないから歩かない方がいい。」じゃあ一体何処を歩けばいいんだと私は一人でぼやく。日本で見た、地雷爆発の瞬間を捕らえたテレビ映像とその音が頭の中でこだまする。アフリカのどこかの国で偶然撮影されたというそれは「パン」という、思ったより高い音がしたっけ。 
先を行くスタッフの足元から目が離せない。瞬きも出来ない。なぜかひざの裏が痛み始めた。空気が薄いんじゃないのか。胸の奥まで息を吸いたい。息が苦しい。

 急に目の前が明るくなった気がした。草むらを抜けたのだ。

 肩で大きく息をした後、私が感じたのはやりきれなさと怒りだった。イスラマディンもこの道を通っているのか。そうなのか?私は一緒に働いた受益者の方々が、毎日この脅威を感じながらの生活を強いられている事に無性に腹がたった。何なんだこれは?何なんだ?怒りのやり場がなくて、私はしばらく声が出なかった。 

 事務所に帰る車の中、私は片足を失った彼の姿と、松葉杖をついた多くの少年達の姿をぼんやり想像していた。長い列を作る松葉杖の人々。その列の最後には、イスラマディンのやせた後ろ姿が見えた気がした。

 日本にいたとき、地雷の恐怖は私にとって顔の見えない漠然としたものだった。1日に地雷で150人以上の人が被害にあっていると聞いても、なにかつかみ取れない脅威だった。アフガニスタンで働きだしてから、片足を失った人々を何度も目にしたけれど、時間が経つと共に私の感覚は擦り減って、いちいち反応しなくなった。でも、イスラマディンに出会った後、私にとって地雷の恐怖は彼の顔と存在感を持った新たな恐怖に変わった。私は時々、そっと自分の足に触れてみる。今でもアフガニスタンのどこかで地雷があの音を立てて爆発し、彼のような少年が被害にあっていると考える時、私はざらざらしたものを心に感じる。ひざがまた痛み出す気がする。そして私は、何かを思い切り蹴飛ばしたい衝動に駆られて席を立つ。

1月 16, 2003 事務所・スタッフ |