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2002年12月19日 (木)

新しい家で新しい生活

afgan2302  JENカブール事務所では、今年6月より帰還した難民の方々のための簡易住居建設支援事業を、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)との協力により進めています。この事業は、支援を受ける人々へ建設資材の提供とともに、現地の技術者による建設技術の指導を行うことを通して支障なく再定住出来る地域社会づくりを目指しています。

 今年中に500戸(1家族あたり5~6人と想定して、2,500~3,000人を対象)の建設を目指しています。事業が行なわれているのは、特に帰還民の数の増大が予想され、度重なる戦闘の最前線地帯で、多くの建物が破壊されているパルワン州・チャリカ地区です。事業開始後、10月に完成住居1号ができてから12月上旬までに300軒ほどが完成し、その他の住居もほとんどが窓ガラスの設置など最終段階に入っています。afgan2304
 
 この冬のアフガニスタンの寒さは前代未聞とも言われており、南部や西部などでもかなり気温が下がっているそうです。この寒さに慣れていない南部、特にカンダハール州やザブール州では、国内避難民(IDP)キャンプなどで死者が多数出ているということです。こうした中、少しでも早く住居が完成し、人々の住む場所が確保できることを願いつつ、現在も急ピッチで作業を進めていますが、やはり支援が追いつかず、いまだに支援を待っている人が多くいます。

12月 19, 2002 | | コメント (0)

2002年12月11日 (水)

外国人の私とカブール(駐在員椎名カブール日記)

7  チキンストリートは外国人が買い物に来ることの多いショッピング通りである。私がこの通りで買い物をしていると、まだ10代前半らしい子供たちが3人店に入ってきた。この通りは洋食の食材が手に入るけれど、値段が現地の食材よりとても高いので、私はいつも自分の財布と相談して緊張しながら買い物をする。いくつか店を回って一番安い店を確かめて買うことも多い。と、そんな私を尻目に3人は50新アフガニー(約1ドル)の札束を胸ポケットから出して、派手に洋菓子や飲み物を買い漁り始めた。

  1日2ドルで働く肉体労働者がごまんといるこの国で、その光景は私にとって異様に映った。「お金の本当の価値がわかっているのか」と正直言って私は少し腹が立ったが、ふと思い当たることがあって考えてしまった。私のような外国人がアフガンで買い物をする時も気をつけなければいけないな、と思ったのだ。私がお金持ちの子どもに腹が立ったように、多くのアフガン人も、外国人が資金力に物を言わせて買い物をするのを見ていい気がするわけがないだろう。カブールでは町が日増しに活気づき、新しいレストランも出来て言ってみれば外国人にとって少しずつ住みやすい都市になってきたけれど、本当のところアフガン人にとって住みにくい都市になってはいないだろうか。高級車を乗り回し、現地の人にとってとても高級なレストランで食事している“アフガン支援に来ている”外国人は、現地庶民に目にどう映っているのだろう。あの3人の子供達はお年玉で買い物に来ただけの、一時的なものかもしれない。でも私達外国人は...。

 アフガン支援のために来ている外国人として言わせてもらえば、ここでの生活は決して楽ではないし、たまにはこちらでは高級でも味やサービスはヨーロッパや本場の味とは比べるまでもないレストランで食事するぐらい、許して欲しいとも思う。私の給料も、日本の企業で働く友人達とは比べるべくもないし。支援をするには現地の方と同じ目線で生活するのが良いと思う反面、治安確保のために事務所や車にお金をかけざるを得ないという事情もある。もちろん、アフガン人の中にも外国人がアフガニスタンで生活することがいかに大変か、理解してくれる人も多い。けれど、一般のアフガン人の方が頭で理解できても心安らかでない気持ちはわかる気がする。

  これからクリスマスやお正月にかけて、私達外国人はパーティなどで外出することが多くなるだろう。私もカブールで年を越す事になった。国連のセキュリティー・オフィサーによると、最近アフガニスタンにタリバンやアルカイダの勢力が再結集しているということだし、外国人批判・排斥の動きがこれに連動しないとも言い切れない。現に最近国際NGOの職員が武装グループに襲われるという事件が幾つも起きている。レストランなどの外国人が集まる所はテロの格好の標的だし、私が反外国人テロリストなら絶対狙う。

 つい忘れがちだが、私はまだ戦火のくすぶる国で生活しているのだ。子供達が抱えた札束を見ながら、私は自分の行動が現地の方からどう見られているか、どう見られるかに注意してこの年末を過ごそうと思った。

 今年も残りわずか。

12月 11, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年12月 6日 (金)

人々の顔が私を動かす(駐在員椎名カブール日記)

6  1ヶ月続いたラマダンが終わった。3日間のイード休みだ。

 青空が広がったカブールの空には凧が舞い、どっしりとした冬の空気に淡い日の光が射している。ジェン・カブール事務所では現地の習慣に習い、主だったスタッフは車2台に分乗してそれぞれのスタッフの家を挨拶して回った。最近のカブールは冷え込みが厳しくなり、路地裏の下水に張った薄氷を避けながら歩いていると寒さが足元から上ってくる。スタッフのお宅にあがるとお茶と甘いお菓子が出され、しばらく歓談した後、次のお宅にお邪魔する。”イード・ムバラク“が決まった挨拶言葉らしい。多くの人が服を新調しているし、”おめかし”している子どもも多い。カブール市内を巡るうちに私の頭に浮かんだのは、幼いころの記憶にある日本の古きよきお正月の姿だ。昔、祖母に手を引かれて親戚回りしたおぼろげな記憶が私にはある。垢抜けてはいないけれど、独特の清潔感と高揚感があり、あらたまった気分になる。5軒ほどの挨拶回りを済ませると、私のお腹はお茶で一杯になってしまった。

 スタッフの家族に会うことが出来るのはとても楽しい。子供達に“アフガン版お年玉“のようなお金をあげながら、父親のスタッフの顔と見比べてみるのはおかしい。スタッフが父親の顔になり、子どもをなだめたり、後ろ姿を心配そうに見送ったりする時、普段私に見せたことのない表情を見せる一瞬が面白い。私が1つ不満なのは、彼らの女性の家族メンバーにお会いできないことである。普段はあんなに強気なあのスタッフは実は恐妻家だと聞いたりすると、ぜひお会いしたくなるのに。

 私たちジェンの事業は日本の皆さんの貴重なご寄付や財団、国際機関からの資金的支援、協力事業によって成り立っている。水、教育、職業。私がアフガニスタンにきて早や4ヶ月が過ぎたけれど、私たちが少し支援させていただくだけで、人々の暮らしが大幅に改善されると思える事業計画がたくさん浮かんでくる。けれど、残念ながら慢性的な資金難がそんな事業を実施する事を許してはくれない。折角はじめた事業も、資金が続かずに頓挫・打ち切る決定を下すことも十分ある。最近日本から来た方に私が決まって聞くのは「今、日本ではアフガンの現状についてどのように報道されていますか?」という質問である。教えてくれる方はただ首を振るばかりで、私は焦燥を隠せない。 現地政府が支援のイニシアチブを取る事を主張し、スタッフに経験と自信、希望が生まれてきたこれからが正念場なのに。アフガニスタンを忘れないで欲しい。やっと始まった復興に向かう動きを止めないで欲しい。スタッフとその家族の顔を見ながら、私はあらためて事業を続けたい、やめたくないという気持ちを強くする。アフガニスタンの人々の様々な表情は、私を現場に惹きつける。

 公園には臨時の遊園地のようなものが出来て、木でできたメリーゴーランドのようなものにぶら下がって遊ぶ子供達を見ることが出来る。 
こんなにたくさんの子どもが公園で遊んでいるのを見るのは、アフガンでは初めてだ。裸足に靴をつっかけて、転がるように走っている子どもがいる。厳しい寒さは何処へやら、精一杯遊んでいる子供達の姿を見るのは何か嬉しい。寒さに震え、資金繰りで眉間に自然と皺がよる私に“あの元気が欲しいっ!”と思った自分は、すっかりオヤジ。

12月 6, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)