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2002年11月20日 (水)

ラマダンのある風景(駐在員椎名カブール日記)

5  ラマダン(アフガンの公用語ダリではラマザン)が始まって2週間が過ぎた。正直言って私はこの行事がこれほど大きく私の生活にかかわってくるとは予想していなかった。

 先ず就業時間が公式にも実際の面でも大幅にカットされた。政府機関は朝の8時から昼の1時までだが、お昼頃にはもう人はいないことが多い。ジェンもお祈りの時間を入れて8時から昼の3時半までだけれど、2時半を過ぎるとチャリカのスタッフはうろうろと落ち着かなくなり、荷物をまとめたり、夕食の食材を買出しに皆で出かけようとしたりする。私はしつこくスタッフに一日の予定を確認し、彼らをプッシュしなければならない。信仰深いアブドラはさっきから私に断ってから2時間に1回ほどの割合でお祈りをしているし、一度始めると10分はかかる。他のスタッフも頻度の差はあれ同じようにお祈りをしている。共通なのは信仰の深さにかかわらず、時間が来るとさっさと家路に着いて食事の準備をすることである。後に残るのは、仕事からいつまでも抜けられないかわいそうな日本からのスタッフのみ。

 日本からのスタッフもラマダンと現地スタッフの心情を尊重し、昼食は食べないことにしている。朝食は一度食べないで懲りた後、食べるようにした。現地スタッフの一人が私に、ラマダンは日頃貧しく食事が満足に取れない人々の心情を理解する為に行なう意味があるといったとき、私はまさしく自分こそラマダンに参加するべきであるとチャリカスタッフに告げ、失笑を買った。実際に“プチ・ラマザン”に参加してみると、最初の決意はどこへやら、私の意思にかかわらず鳴り続けるお腹をもてあまし、マーケットにぶら下がった肉をじっとにらんでいる自分と、そんな私を見上げる子供にふと我にかえったりする。短気な私はますます気が短く不機嫌になり、一日の終わりにベッドに入りながら、自己嫌悪にさいなまれる事になる。

 夕方5時ごろ、チャリカからカブールへの帰途につく私は、夜の到来とラマダンの終了を告げるお祈りの声がモスクから流れてくるのをお腹で聞きながら、車窓の外の景色をひもじい思いでぼんやり見ている。 外は夕暮れの帳が下り、人々が薄い毛布のようなものを草原に引いて祈りをささげている。夕焼けの澄んだ光と雪で白く覆われた高い山々。冷たい静寂と人々の敬虔な祈りの中で、イスラム教徒でない私も今日一日の無事を何かに祈らずにはいられなくなる。アフガンの人々を信仰に強く結びつけるのは、長年の戦渦か、その厳しい自然環境だろうか。私は何に祈ればよいのだろう。自然か、あるとしたら私をアフガンに導いた運命か。 
カブール市内に入り、活気に沸き立つ街角に頬を真っ赤にした子どもが夕食のナンを両手にいっぱい抱えて家路に急ぐ姿を見ると、私はほほえましい、何かしら安心したような気分になり、次いで敬虔な気持ちは今夜の献立の心配に取って代わる。私の信仰心らしきものは、いつまでも食欲に勝てそうにない。

11月 20, 2002 事務所・スタッフ |

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