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2002年9月25日 (水)

今、カブールに住むということ(駐在員椎名カブール日記)

 ISAFのヘリコプターが爆音を響かせながら、事務所の上を飛んでいった。9月9日のマス-ドの命日から9月11日までの3日間、カブール事務所では外出を最少限にするとともに、地下室に水や医薬品などを用意して何かが起きた際に備えた。8月の末から今月初めにかけて、カブールでは爆弾テロと思われる爆発が相次ぎ、死傷者がでている。私も以前行ったことのある建物や市場での爆発のニュースには、耳の後ろに誰かの冷たい視線を感じている気分にさせられる。現地スタッフが教えてくれた噂によると、カブールには34台の車爆弾が潜入したが、そのうちの1つが今月初めにバザールで爆発した物、もうひとつは警察が発見し、その他はまだカブール内に潜伏しているのだという。誰がどこでそんな噂を流しているのかわからないけれど、カブール市民がまだこれからも爆弾騒ぎがあると強く信じていることは確かである。8月中旬にはUNHCRから、借りている車についているUNHCRのロゴをはずすようにとの指示があった。理由は知らされていないが、車に爆弾が仕掛けられたり、狙撃されるのを恐れての処置ではないだろうか。

 自由に外に出て買い物や仕事が出来ないというのがこんなに嫌な感じだとは、ここに赴任するまで知らなかった。水の中を歩いているような、胸を軽く圧迫されている感じがして、とりあえず庭に出てみる。この事務所がある地域は、国連機関のゲストハウスもある治安の良い所だけれど、夜中、門に何かがぶつかった音がしたり、外で誰かが話しているのが聞こえたりすると落ち着かなくなる。神経過敏だとは思うのだけれど、最悪の事態のシナリオが頭に浮かんできて何度となく門を見に行ったりしてしまう。カブールではないが、チャリカにあるジェンの事務所では先月の終わり、石が投げ込まれるという事件が起こった。犯人や動機は不明だけれど、不安はいつも空気のようにこのカブールにもある。

 カブールのローカルスタッフの話は、今カブールで生活する人々の心情を垣間見せてくれる。彼の息子がバザールに買い物に行くというので、彼は息子がテロに遭う事を恐れてそれに反対した。紛争中もアフガニスタンに留まった彼は、今でも紛争はまだ終わってはいない事を強く感じている。息子を引き止める彼に、彼の妻がはっきりと言った。「あなた、引き止めるのは止めましょう。息子にもし未来があるならば生き残るでしょうし、そうならなければそれが運命なのでしょう。」

 衛星放送が見られる事務所のテレビでは、ニューヨークでの同時多発テロの犠牲者に対する追悼式典の様子が流れている。テレビの中の空には戦闘機が舞っていた。私は、自分のいる場所とブラウン管の向こうの世界との奇妙な距離感の中で、今日一日が無事過ぎ去っていったことに感謝した。

9月 25, 2002 事務所・スタッフ |

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