アフガニスタンにいるクジラの話3(駐在員椎名カブール日記)
「アフガニスタンのクジラ」は、私の中にもある。
市長などを訪ねて、私達のシェルタープロジェクトに関する協力を依頼するため、チャリカでミーティングを開いた時のことである。約束時間に40分近く遅れてしまった私や他のジェンスタッフは、先ず遅刻に対してお詫びを申し上げた。余談だが、私の知っているアフガン人の多くは、時間の約束をちゃんと守る。そのとき、同席していたチャリカ50村落の長が静かに、しかししっかりとした口調で話し始めた。
「私の村にはこれまでにも多くの人々が援助の申し出をしにやって来た。早朝に私の家の門を叩き、農業支援のために力を貸して欲しいといってきた団体もある。それらの多くが、その後全く音沙汰なしだ。時間でも支援活動でも変わりはない。出来ない約束ならしないで欲しい。」
私はこの老人の言葉に自分の支援に関する意識の甘さを突かれた思いがして、しばらく顔が上げられなかった。
私の短い現場経験の中で学んだことで恐縮であるが、支援活動は現地の方々の御協力なしには成し遂げられない。現地の文化、伝統、社会構造を学ぶこと。本当に今必要な支援は何か、村人と相談すること。その土地に合った、プロジェクトの効果的、効率的な実施方法を話し合うこと。土地の治安状況を教えてもらうこと。逆説的だが、私達は受益者の方々によって助けられながら支援をするのである。そのためにはまず、受益者の方々に信頼される、認められる団体になることが必要である。口ではなく、行動で私達の支援への意志を伝えること。調査・視察は大事だが、先ず小さなことでいいから目に見える支援を実行すること。出来ない約束はしないこと。受益者からの大きな期待を一身に受ける支援現場では、これらのことを守るのは想像以上に難しい。
在のアフガニスタンにおける国際的な支援活動の嵐の中で、支援金に群がる「アフガンのクジラ」ではなく、一緒に行動する仲間として認められたいと考えるのは甘いだろうか。大きなプログラムの計画も大事だけれど、井戸掘りのひとつでもいい、今から小さな支援の実績を積み重ねないとアフガニスタンの人々からの信頼を失い、今後の支援が的外れなものとなってしまうと心配するのは杞憂だろうか。私は「アフガンのクジラ」の話が正しいかどうかという事とともに、この話が生まれたアフガンの人々の国際支援に対する意識が気にかかる。
9月 18, 2002 事務所・スタッフ | Permalink
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