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2002年8月27日 (火)

木材調達はひと騒ぎ(駐在員椎名カブール日記)

 私は担当しているシェルター事業に必要な木材を調達する為、木材マーケットによく足を運ぶ。木材に詳しい現地のNGOと一緒に買い付けに行くのだが、これが一筋縄ではいかない。

 私たちが購入する木材は、後に提携している現地NGOによってドアや窓枠に加工され、受益者に配られる物で、まだ加工がされておらず、切り出して皮をはがされた状態の木材である。マーケットではそれが品質や値段ごとに「山」になって積んであって、私はその小山の間をすり抜けながら、匂いをかいだり、乾燥具合を確かめながら電卓片手に歩き回る。木材はアフガン産のほかに、パキスタン産、ロシア産などがある。最近の物価の上昇で木材も計画段階の2倍以上に価格が膨れ上がるケースもあり、頭が痛い。
 オーナーをなだめたり、強く言ってみたり、またお願いしたりして昨日買出しが決まった木材の山の大きさを確認しにマーケットに行ってみると、オーナーがいない。周りの人に聞くと彼の妹が亡くなったらしく、故郷の村に帰っているという。やれやれ。明日帰ってくるというので翌日来てみても、彼の姿はない。オーナーのパートナー(?)という人物に許可をもらい、木材を一本一本調べていくと、山の中から質の悪い木材が出てきた。これは買えないと伝えるとまた一から交渉のやり直し。

 やっと交渉がまとまり、木材を運び出す時になって、このマーケットを取り仕切る男がやってきて何か木材のオーナーに話しかけた。すると突然男達の間で激しい議論が巻き起こった。聞くと私が交渉していた木材のオーナーは4人(!?)いるオーナーの内の2人で、もう2人の同意を得てから売るべきかどうかもめているという。一人の男はつばを飛ばして演説し、別の男は負けじと腕をふって反論する。やれやれ。このマーケットをあきらめて別で購入するか...でもここが一番安いし....また一から交渉か....。ローカルスタッフの一人がつぶやく。「この国は何でもかんでもロヤ・ジルガが必要みたいだ。」

 こうして砂埃と木材のくずの風に吹かれながら、木材調達の日々は続く。

8月 27, 2002 住宅再建 | | コメント (0)

2002年8月22日 (木)

学校修復着工式

 JENの学校修復事業は、国連開発計画(UNDP)との協力による、「UNDPアフガニスタン復興・雇用プログラム=REAP(Recovery and Employment Afghanistan Programme)」により、行われています。簡単に説明すると、カブール周辺の復興事業に現地の人を雇用して、職につく機会を少しでも多く持ってもらおうというものです。具体的には、道路、上下水道、教育・医療施設の修復及び建設等の公共事業を実施しています。 

日時:2002年8月11日(日) 
■場所:ラビア・ハイスクール(カブール市、第4地区)

【着工式の様子】
 今回のラビア・ハイスクールでの着工式は、アフガニスタン教育副大臣による挨拶に続き、代表の生徒によるコーランの読誦によって幕を開けました。日本政府代表、UNDP代表、JENカブール事務所長の青島あすか、ユニセフ、そしてラビア・ハイスクール代表と、それぞれがこの着工式への参加者を歓迎するとともに、この学校修復事業について協力し合い、事業の成功を祈りました。また、2つのチームの生徒達が、ダリ族とパシュトゥーン族の歌を披露し、また、民族音楽の演奏や、ダンスによるパフォーマンスで、会場は盛り上がり、修復工事終了後の学校で勉強することに夢をふくらませていました。
 この着工式の模様は、同日8月11日夕方、地元カブールのラジオ放送を始め、8月16日朝のテレビ番組では、その一部始終が放映されました!

8月 22, 2002 学校修復・建設教育支援 | | コメント (0)

2002年8月20日 (火)

学校は好きですか?(駐在員椎名カブール日記)

 カブール市内を車で回っていると、まだ幼い女の子が青っぽい布のかばんを肩にかけ学校に通っている光景を目にし、何かほほえましい気分になる。ジェン(JEN)も参加しているUNICEFのバック・トゥ・スクールキャンペーンによって支援されている生徒である。その布のかばんも、文房具も、日本政府の資金援助よって実現し、JENのスタッフ3人も現場で活動しているこのキャンペーンによって支給されたものだ。私はキャンペーンに出向している渡邊、玉利、浮橋の「顔のある」活躍を誇らしく思う。あの少女には、日本はどんな国に映っているのだろう。

 私が訪れた学校は、カブール市内にある、これから修復事業が行われるラビア・ハイスクールだった。まず目に付いたのは校庭で強い日差しと砂埃にあおられているUNICEFのテントと、その中で熱心に勉強している生徒達だ。ビニールシートの上に座り、顔をしっかり上げて先生の話に聞き入っている。「教室」の中にあるものといったら、簡単な黒板と….それだけ。イスも机もないけれど、生徒達の大きな目や前に乗り出した小さな肩を見ていると「ここに居たい」「何かつかみたい」といった気持ちがそこにはあるように感じられた。私が小学校に入学した時の事を思い返してみると、ぴかぴか光ったランドセルや、大きな筆箱に入った削りたての鉛筆の匂いが浮かぶ。彼らにはそんな物質的な喜びはないかもしれないけれど、学校に行くことが出来る喜びは、行くことが当たり前だった私の想像以上なのだろう。
 校庭を囲む塀の影ではビニールシートや布のようなもので日よけを張り、日差しから身を隠すようにして生徒が勉強していた。戦禍を免れた教室も、紛争中に国内避難民が住み着いていたため、修理が必要である。この学校では、教室数が絶対的に足りないのだ。男女は別々に授業を受けるので、この状態で3シフト制の授業を行っていると聞いた。UNDPなどからの資金援助を受け、JENが担当することになったこの学校の修復が、生徒達やこの国の将来に少しでも寄与できればすばらしい。

 私は教育支援の現場を訪れるとき、JENの支援物資の1受益者だったという少女の言葉を思い出す。

 「将来は誰かに支援されるのではなく、誰かを支援できるようになりたい。」

 そんな日が一日も早く訪れるように、JENはこれからもアフガンの将来を担う彼らの支援をさせていただきたい。

8月 20, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)

2002年8月15日 (木)

3交代制の学校

 国連開発計画(UNDP)との協力のもと、アフガニスタンで進められているJENの学校修復事業第3弾、カブール市北部の第4地区に位置する、ラビアハイスクール(Rabia High School、生徒数:男子3,112人、女子2,469人、合計5,581人)での着工式が、8月11日(日)に予定通り行なわれました。この学校は14年前に建てられたのですが、長い間の戦闘によって受けた破壊は激しく、その修復は全く行われていない状態です。また、生徒数の多さから、今は3交代で授業を受けています。着工式の様子はカブールより連絡が入り次第、お届けします!

【修復の内容】
①ドア、窓、屋根の梁、壁の修復と塗装のほか、16の新しい教室の建設
②水道設備、校庭を平に均す、コンクリートの歩道、2つの新しい校門、教室の電気の配線、校舎を囲む壁と校庭の排水工事
③ユニセフとの協力により、仮設テントを設置

 これまで順調に進んできている学校修復により、少しでも多くのアフガンの子ども達が教育を受けられるように、JENもがんばってっています。

8月 15, 2002 学校修復・建設教育支援 | | コメント (0)

2002年8月10日 (土)

カブールに赴任して(駐在員椎名カブール日記)

 私がアフガニスタン、カブールに赴任してはや1週間が経とうとしている。私はこの機会を利用して、この国で私が見聞きした事柄の中から特に今のアフガニスタンを伝えていると思う物を皆さんにお伝えしたいと考えている。

 カブール市内でまず私の目にとまったのが車の多さと道の両脇に広がる市場の賑わいだった。カブールの路上は日本の中古車が席巻しており、「株式会社XXX」や「信頼のOO」などが市内を黒い煙とともに走り抜けている。白と黄色に塗り直された車体に、わざと信頼性の高い日本製である証として消さずに残してあるのだという。私が見た車の中には、見よう見まねで後から日本語をペイントし直したか、新たに付け加えたらしい物も見かけたけれど。他にはメルセデス・ベンツが人気で、トラックやバスの車体に大きくペイントされているのをよく見かける。交差点ではそれらの車が歩行者、自転車、ロバ、そして援助関係者の車などで出来た混沌の中でうなり、うごめいている。
 
道に沿って広がる市場では、スイカやメロン、桃などの果物やナスなどの野菜を手押し車に載せて売る人々やインドのナンに似たアフガンのパン、マトンなどを店先にぶら下げて売っている人々であふれている。タバコは韓国産のものが良く吸われているらしい。価格にこだわらなければ、カブールには物資が豊富にあるようだ。
先日私の車の前を走っていた車からアフガンのパンが何枚か道路に滑り落ちた。その車が気が付かずにそのまま走り去ろうとしたその時、一人の少年が市場から走りより、パンをかき集めて交通渋滞の中をその車を追いかけた。その少年は落とし主からの感謝の言葉も期待していない風で、何事もなかったかのように市場に戻ってきた。戻ってきた彼の涼しげな顔と小さな背中が印象に残った。

 これからもカブールのことは書いていきたいと思う。次回はジェンが修復している学校の様子について書きたいと思う。

8月 10, 2002 事務所・スタッフ | | コメント (0)