2010年5月13日 (木)

事業のおわりによせて

 インドネシアでのジェン事業がもうすぐ終ろうとしています。2009年9月30日、西スマトラで地震が発生して以来、ジェンは3つのプロジェクトを完了させました。4つ目のプロジェクトは今も進行中ですが、もうすぐ終わる予定です。

 地震の被害を受けた人々の生活も普段のものに戻りつつあります。まだ多くのNGOが復興事業や開発事業を続けていますが、緊急支援を行うNGOはほとんどが西スマトラから撤退しています。

 人々はJENの配布したツールキットを使って家からガレキを運び出し、家の再建が進んでいます。そしてJENの防災ワークショップを受け、将来再び起こるかもしれない大地震に備えています。私たちは被災地にトイレを作り、生徒や先生を対象に学校で衛生教育を行って教育環境を整えています。

 長い月日を過ごした場所を離れるのはいつも悲しいことです。パキスタンで、私はカシミール、バロチスタン、 北西辺境州のプロジェクトを見届けました。今は、インドネシアにさよならをする時です。JENの支援を受けた地元の人びとの幸せな笑顔が私をほっとさせてくれます。まさにこれが全てのプロジェクトの目標なのです。

100513_img_6591_resize_resize_2  先日スタッフや友人みんなでお別れのパーティーをした時、JENの現地スタッフが私たち国際スタッフのために日本の歌「心の友」(インドネシアで有名な五輪真弓さんの歌です)を歌ってくれました。とても素敵だけれど、悲しい歌でした。

 

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 終わりに・・・私たちはみな、西スマトラの人たちが安全に生活し、将来起こりうるどんな災害にも負けず、すぐに普段の生活を取り戻すことを、離れてもずっと願っています。

プロジェクトリーダー:アズマット・アリ

5月 13, 2010 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2010年5月11日 (火)

ゴトン・ロヨンの精神

Img_6991_low_2パダン市街から2時間、山に向かい、1本道をひたすら西に進んでゆくとリマ・コト・ティモール郡に到着します。山間いはバリよりもスケールの大きいライステラス、平地には熱帯地域特有の10Mは軽く越すほどの背丈のあるココナツが道を囲むのどかな農村地帯です。JENが最初に緊急支援物資配布を行った村、クドウ・ガンタン村の村長さんにお話をうかがいました。

「地震で村の家は100%破壊されました。被害の大きさはさまざまでしたが、皆、初めて体験する地震という恐ろしい災害によって大きなショックを受けました。

地震後、すぐにJENがやってきました。そして、私に住民のリストを作ってください、と言いました。村長として、村の住民リストを管理していましたので、即座にリストを手渡しました。Img_7005_low

JENは、優先順位の高い家族から、がれきを取り除くキット、5世帯に1つ一輪車などの什器のセットを配布する準備をしてくれました。私たちには、『ゴトン・ロヨン(共に働く)』という隣人を支え合う習慣がありました。たちまち、村人は、互いの家のがれき撤去を始めました。今は一段落ついたので、自分たちで家の再建を行っています。これらツールは、あのときJENが配布してくれたものです。Img_7007_low

村人の間では、時折り小競り合いがありますが、自分が中に入って解決してきました。しかし、地震直後の状態は、自分ではどうにもできない事態でした。そんなときに受け取ったツールは、すべてを失った私たちに希望、そして私たちが本来もつパワーの半分を与えてくれました。あとの半分のパワーは自分たちでなんとかしなければならないものです。

この地震では、(1)困っている人を助けること、(2)食糧を貯蓄すること、(3)そして、村人、教師、行政がひとつになって支え合うことの大切さを身をもって学びました」Img_7008_low

5月 11, 2010 文化、生活、習慣支援物資配布インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2010年4月22日 (木)

JENとの出会い

100422_photo_jen_bantuan  私は西スマトラ州のパダン市に住んでいるカメラマンです。現在も写真を学んでいます。良い写真が撮れたときは、いつもとてもうれしい気持ちになります。

 

 2009年9月30日、あの巨大地震が、私の大好きな町を襲いました。その日、私は今まで見たこともないような光景をたくさん見ました。多くの人たちが亡くなり、子どもたちが泣き叫び、ビルが崩壊していきました。生き残った人たちは、安全な場所を探し回っていました。その後も被災者の惨状をテレビで見ましたが、私は深い悲しみに打ちひしがれ、涙は枯れ果ててしまいました。そのうち、私は一番被害が大きかったパリアマン県へ行きたいと思うようになりました。被害の実情を自分の目で確かめ、人びとのためになにかできればと思いましたが、残念ながらパリアマン県へ行くための車も、現場へ連れて行ってくれる知り合いもいませんでした。

100422_img_0019  そんな時に、ある友達が、JENという団体が被災者のためにパリアマン県で支援活動を行っている、と教えてくれました。いまだにその朝のことを覚えています。JENのスタッフがトラックに支援物資を積んでいるのを見つけ、私も一緒にパリアマン県まで連れて行ってくれないか、と頼んだのです。そこから、私はJENのスタッフとして活動を始めたのです。

 JENの仕事では、仕事に対するプロフェッショナリズムを学びました。また、JENの仕事を通じて、スタッフ同士の固い結束が大切だと感じることができました。

100422_photo_jen_bantuan_2  これからも引き続き、チーム一丸となって活動をしていきたいと思っています。

トーマス・アンダーソン(プロジェクトアシスタント)

4月 22, 2010 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2010年4月 8日 (木)

アンダラス・ラーマヤーナ・プラザ、営業再開、大安売り

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「アンダラス・ラーマヤーナ・プラザ、営業再開、大安売り」
4月1日の現地新聞各紙でこの見出しが踊りました。

100406_earthquake_night_3   西スマトラ州の州都パダン市の中心にあるアンダラス・ラーマヤーナ・プラザは州内で最大級のものでした。しかし、昨年の9月30日、家、学校、病院、ホテル、そしてアンダラス・ラーマヤーナ・プラザのようなショッピングモールを破壊した、あの大地震が発生しました。西スマトラの人々は地震で家を失っただけでなく、彼らの大好きなモールをも失くしたことに大きなショックを受けました。

 7ヶ月間の復興作業の後、アンダラス・ラーマヤーナ・プラザは市長の認定を受け営業を再開しました。また、多くの人気チェーン店も新たに出店し、新しいお客さんを獲得しようとしています。再オープンの日、首都ジャカルタから招かれた人気アーティストやバンドがパダンの人々を楽しませ、集まった大勢の人々全員が歓喜の中、共に歌いました。

 モールの再開は大地震発生後僅か7ヶ月後のことです。この巨大ショッピングモールの再開は人々を幸せにし、生活に変化を起こしています。人々は以前と同じように買い物を楽しむことができ、日用品を買ったり、子どもたちはゲームセンターで遊んだりできるようになったのです。プラザの再オープンはパダン市の経済復興にも役立っています。失業率を改善し、昔からある市場にも良い影響を与えています。

 今、パダンは着実に復興を果たしつつあります。

4月 8, 2010 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2010年3月25日 (木)

子どもたちから学ぶ防災教育

100325_group_photodrr_workshop  ようやく、69の学校の生徒が参加した全17回の防災ワークショップが終了しました。今回は、パダン・パリアマン県の被災地域に住む学校の子どもたち、学校運営委員会(現地のPTAに相当)のメンバー、そして教師たちに対する防災ワークショップを開催した、ジェン・スタッフからの報告です。

 一カ月間にわたって開催した17のワークショップ。17ヶ所の異なる場所で学校の子どもたちの面倒をみることは、容易なことではありませんでした。子どもたちの中には、いたずら好きな子や、人見しりをする子もいました。それでも、そのやんちゃな行動やジェスチャーによって、ワークショップ会場の重い空気が変わり、参加者の間に大きな笑いが広がることもありました。私たちはワークショップの期間中、そのような場面を数多く目にしました。また、時には、これらの無邪気な子供たちによって、私たちが知らないことについて考えさせられ、学ぶべき新たな発見がありました。

 ワークショップでは、教師と生徒のグループが、学校と避難経路の地図を作成しました。地図を作った後、グループの中の一人が、参加者全員に説明をします。

100325_drr_workshop  ある時、教師が「ドロップ・カバー・アンド・ホールド(机の下に隠れ、体を丸めて机にしっかりつかまる)」法について説明していると、一人の生徒が次のように質問しました。

「先生、もしテーブルの下に隠れて、そのテーブルが十分に丈夫でなかったら、屋根のがれきがテーブルを壊して、僕たちは簡単に死んでしまうよ。」

 この質問に対しては、誰も答えられませんでした。やがて一人の教師が、「机をもっと丈夫にするよう、役所に頼みましょう」と答えました。

 教育省は、学校の備品は充分強度があるものにすべきであり、また、災害はいつでも襲ってくる可能性があるということを認識する必要があります。私たちは教育省への報告書に、この生徒から受けた指摘を盛り込みました。

3月 25, 2010 インドネシア スマトラ沖緊急支援防災訓練・教育 |

2010年3月11日 (木)

学校衛生環境改善事業

   昨年9月末にインドネシア西スマトラ州で発生した大地震の被災者支援も6カ月目を迎えました。JENは、これまで被害の最も大きかった西スマトラ州パダン・パリアマン県で事業を実施してきました。

100311_sdn24_v_koto_timur_resize_2  今年に入り緊急状態は脱したため、昨年行った物資の配布にかわって、地震被害を受けた88校を対象に学校の衛生環境改善事業を実施しています。
3つのドアがついた写真の建物はJENの建てた学校のトイレです。木材は現地で最もポピュラーなヤシの木を使い、雨の多い気候に合わせて屋根の雨どいからタンクに水を貯めて水洗に使うなど、現地の環境に合わせた作りになっています。

100311_sdn23_kp_dalam_8_2  JENは、学校の衛生環境改善の効果を更に高めるため、教師への衛生教育ワークショップを実施しました。このワークショップに参加した先生は、今度は自分たちで生徒への衛生教育を行うのです。

100311_100222_hygiene_session_sdn_3  現在は、88校それぞれで、先生による生徒への衛生教育セッションが進められており、JENのスタッフも参加して先生のフォローをしています。子どもたちは、先生から基本的な衛生知識やJENが建設したトイレの使用方法、手洗い、歯磨き、爪切りなどの習慣の大切さを学び、プロジェクトの効果がより高まります。

3月 11, 2010 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2010年2月25日 (木)

一杯のコーヒー

 スタッフの奮闘なしでプロジェクトを成功させることはできません。現地のスタッフは一日8時間労働の契約ですが、時間通りに帰宅するスタッフはほとんどいません。それは仕事量による強制的なものではなく、自分たちの国の地震被災者のことを想うと働かずにはいられないからです。彼らにとって残業は苦にならないのです。あるスタッフは、災害や家屋の崩壊のことを思うと眠ることができないと口にします。

100225_hygiene_workshop  JENのスタッフはほぼ毎日、プロジェクトの現場に出向きます。建設のモニタリングをする者もいれば、学校の子どもたちに衛生ワークショップや防災ワークショップを行う者もいます。パダンから現場までは80キロあるため、一日に160キロも移動しています。

100225_staff  到着してから一杯の温かいカプチーノを飲むのはなかなかいいものです。JENのスタッフは、おいしいカプチーノ1袋とミルクを買っています。それぞれが自分のコーヒーを淹れ、日頃の問題や成長を話し合うのです。事務所内は禁煙なので、煙草を吸うスタッフは事務所の屋上やバルコニーでコーヒーと煙草を楽しみます。

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2月 25, 2010 事務所・スタッフインドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2010年2月10日 (水)

【インドネシア】 西スマトラ州の観光客(part.2)

100210_lake_maninjau_2   マニンジャウ湖は、ブキティンギから36キロ離れたアガムという街にある有名な湖です。西スマトラ州の州都パダンから最も近い湖なので、地元の人や観光客がその美しい風景を求めて訪れます。また、湖の周辺には安くて美味しいレストランがたくさんあり、観光客は現地の料理や新鮮なジュースを味わうことができます。

 しかし、震災により地元の人々が運営していた多くのレストランは破壊されてしまいました。それを修復する資金もなく、お店は壊れたままで運営されているのです。

100210_water_fall_in_padang_panja_2  西スマトラ州のもう一つの大きな湖“シンカラク湖”は、ソロクという街にあります。ここの空気は澄んでおり、泳ぐにも、湖沿いを散歩するのにも絶好の場所です。観光客はモーターボートに乗って湖の周りの景色を見ることができ、近くには一泊できる素敵なホテルもあります。

 ソロクはパダンから60キロほどの街ですが、奇跡的に地震の被害を受けなかったため、今も多くの観光客が週末に訪れます。しかし、パダンから行くには山を越えなければならず、山間部で地滑りの起こる地域のみが危険地帯となっています。

 歴史や文化を愛する人びとにとって、西スマトラ州には魅力的な場所が数多くあります。最も有名な街は、パダンから100キロほどの場所にあるバトゥサンカルです。この街は西スマトラ州の文化の街と言われています。文字が書かれている石や刀傷の残る石、王様の砦や伝統的なミナンカバウ様式の家々といった古い王国の歴史的な遺産を見ることができます。

 このように、西スマトラ州は美しい場所がたくさんあり、毎月何千人もの観光客で溢れているのです。地元の観光局には震災により被害を受けた建物や場所を維持するための努力が求められています。

2月 10, 2010 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2010年1月28日 (木)

西スマトラ州の観光

 西スマトラ州は、インドネシアでも観光客に人気がある地域として有名です。美しいビーチ、風情のある伝統的な建物、そびえる山々、大きな火山や川、青々と茂った森と美しい湖があります。

 パダンは西スマトラ州の都市で、休日はいつも賑わっています。他の観光地もパダンから一日で往復できる距離にあるため、人々はパダンに宿泊し、そのような有名な観光地に出かけた後、再びパダンに戻ってくるのです。

 しかし、素晴らしい場所に溢れたパダンですが、近年の地震により大きく破壊されてしまいました。パダン美術館は地震後に閉鎖され、政府がいつ再開させるのか誰も分かりません。JENのローカルスタッフによると、パダンビーチは、以前はいつも何百人もの地元の人や観光客で賑わっていましたが、地震の影響と津波の恐怖により人々はビーチへ行かなくなったそうです。

100128_way_to_bukittingi_2  このようななか、観光客はパダンから2時間ほど離れたところにあるブキティンギを訪れるようになりました。近年の地震でたくさんの地滑りが発生し、現在でも激しい雨の後には地滑りがおきていますが、ブキティンギは、美しい山々に囲まれた丘陵地の街として有名です。

100128_clock_tower_2  さらに、ブキティンギには名高い観光名所がたくさんあります。1827年にオランダによって作られた「ジャム・ガダン」(大きな時計塔)、18世紀にオランダによってつくられた「フォート・デゥ・コック」という砦、1942年に日本軍によって作られた地下トンネル、そして有名なプティブングス動物園があり、世界最大の花であるラフレシアもブキティンギで見ることができます。

100128_famous_bridge_in_bukitting_2 来週へ続きます…

1月 28, 2010 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2010年1月14日 (木)

豪華絢爛、インドネシアの結婚式

 インドネシア西スマトラ島沖、ミナンカバウ文化は、そのほかの文化と同様、とてもユニークな側面があります。たとえば、部族や家族が女性から始まる、と考えられています。部族や家族の名前は母親の名前として知られることもあります。

100114_nikah_contract_signing_cerem  なかでも、ミナンカバウ文化のユニークな生活様式の一つを表すのが結婚です。西スマトラでは新婦の家族が新郎の家庭を訪れ、婚約の式を行います。この婚約の式を“マミナング”と現地語では呼んでいます。新婦の家族は、新郎に貢ぎ物を贈り、婚約の式が終わると、それ以降は結婚式まで二人は会うことができません。

100114_eating_together_with_the_fam  一方、結婚式の日は、新婦の家庭で祝われることが多いのですが、まず新婦の家族は新郎の家へ行き、伝統的な衣装を自宅へと持って帰ります。そして、ニカアと呼ばれる契約書と誓約書にサインを行い、近所の人々や家長が、結婚の証人となります。結婚式の式事の中でももっとも重要なものです。

100114_decorated_sofa  この式事が終わると、伝統的なドレスに身を包み、特別に用意されたソファーに腰をかけて、友人や親戚、招待客をもてなします。

1月 14, 2010 文化、生活、習慣インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年12月24日 (木)

次のステップに向けて

 2009年9月30日、10月1日に発生したスマトラ沖地震の被災者を支援するために、JENがインドネシア西スマトラ州のパダン・パリアマン県で活動を開始してから2ヵ月以上が経過しました。

 当初から支援してくださる日本の皆さまの十分なご支援を受けることができ、迅速な緊急救援活動が可能となりました。厚くお礼申し上げます。

 現地では緊急支援の時期が過ぎ、政府が復興期の段階に入ったことを宣言するとともに、現地から撤退する国際支援団体も増えています。一方で、家を失った人たちへ政府からの補償金が支給されるにはまだ数ヵ月かかるとみられ、大きな損害を受けた学校もあちらこちらに残されたままです。

 このような状況から、JENは、は2010年から教育分野への簡易衛生施設設置などの活動を通して現地の人びとの復興を支えていく予定です。

 今後とも現地で復興に取り組み人たちを温かく見守っていただければ幸いです。この3ヶ月間、温かいご支援をいただき本当にありがとうございました。

12月 24, 2009 緊急支援企業の皆さまからのご支援教育支援インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年12月17日 (木)

初めての避難訓練

 支援してくださる皆さま、およびジャパンプラットフォームのご協力により、現在インドネシア・パダンパリアマン県にて防災教育を実施しています。

 インドネシアの子どもたちは、地震が神、アッラーの怒りによって発生したと信じており、それは自分の行いが悪いからであると、未だに地震の恐怖を抱えています。ジェンは、そのような恐怖を少しでも軽減できるよう、また、再び起こるかもしれない震災に備えることができるように、地震のメカニズムなどの防災知識を教えるとともに避難経路の作成、避難訓練の実施、防災委員会の設置などを行っています。

091217_mock_drill_session  先日実施した避難訓練。初めて参加した避難訓練では大人も子どもも大はしゃぎをしながら訓練に取り組んでいました。このように、ワークショップでは防災知識を身につけるだけでなく、楽しく学びながら被災した子どもたちの心をケアすることも目的としているのです。

12月 17, 2009 教育支援インドネシア スマトラ沖緊急支援防災訓練・教育 |

2009年12月10日 (木)

Minangkabau

101209_img_3294_resize  パダン市には地震でも倒壊しなかった立派な建物がいくつかありますが、その建物のほとんどが不思議な屋根の形をしています。パダン市を訪れる多くの人がその屋根の形に疑問を覚えるかもしれません。この屋根には面白い話が含まれているに違いない、とJENの現地スタッフに確認してみました。

 「不思議な屋根がある建物はMinangkabauと呼ばれています。Minangとは勝者、の意味。Kerbauは水牛のことです。101209_img_3306_resize 
 かつて、パダン市では毎年水牛レースがおこなれていました。これはパダン市と近隣のジャワの町が競うものです。ジャワは健康で大きな水牛で有名でした。そのためパダン市はいつもこのレースで負けていたそうです。そこで賢い人が赤ちゃんの水牛をレースに使用することを思いつきました。その水牛の角に刀や刃をつけてレースに臨むのです。赤ちゃん牛はミルクがほしくてジャワの水牛のお腹に突進します。しかし角には鋭い刃がついているので吸い付かれたジャワの牛はお腹を怪我して弱ります。そこで動きが鈍くなったジャワの牛にパダンの牛が勝てるようになりました。その後、そのレースはなくなってしまいました」

 パダン市の奇妙な建物は水牛レースの記念として建てられ、屋根は水牛の角を象徴しているそうです。現在でも60%の政府の建物は はMinangkabauです。

12月 10, 2009 文化、生活、習慣インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年12月 3日 (木)

ところ変われば…

 インドネシアのパダン市に赴任して1ヵ月になります。

 パダン市はインド洋に面するスマトラ島南西部の港町。こちらの文化や習慣を見て感じることは、アラブから伝わったイスラム文化や現地固有の文化、中国系移民の文化などが混ざりあい、非常に豊かな多様性をもつということです。それは現地の食べ物にもよく現れています。

091203_somay  パダンで食べた料理で非常に印象的な料理が、“シュウマイ”という料理です(発音は日本人がシュウマイと発音するほぼそのままです)。なぜこの料理が印象的かというと、実際の料理と、その名前から私たちが思い浮かべる食べ物のギャップが非常に大きいからです。

 パダンのシュウマイは、一口大のジャガイモ、豆腐、キャベツ、肉団子などにピーナッツソースをかけて食べる食べ物です。ちなみに、インドネシアの首都ジャカルタでは、シュウマイというと、日本で言う焼売にピーナッツソースをかけたものを指すそうです。おそらく、中国から焼売がジャカルタに伝わったときに、“ピーナッツソースがけ焼売”になり、さらにパダンまで伝わったときに“ピーナッツソースをかけた食べ物”になったのだろうと思います。

 私の推理が正しいかどうかはわかりませんが、ところ変われば品変わるだなあ、と感心しています。

パダン事務所アドミニファイナンス・オフィサー 成田

12月 3, 2009 文化、生活、習慣インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年11月26日 (木)

雨と土砂崩れ

261109_091116_additional_informatio  インドネシアは現在雨季です。西スマトラでは雨季は9月から2月まで続くといわれていますが、一年を通じて雨が多い気候です。かつては雨に降られても気にしなかった人々ですが今年の雨は生活に大きな支障をきたしています。というのは地震で家が倒壊し、雨をしのぐ場所が限られているからです。テントは雨に弱いので長持ちしません。そのため多くの団体はテントの配布は躊躇する傾向にあります。

261109_101109_assesment_batang_piam  雨はスマトラの人々だけでなく支援をする私たちへも影響しています。雨のため土砂崩れが頻繁に発生し、いくつかの村へはアクセスできないところもあります。人々は市場や病院にいくために長い距離を歩くかなくてはいけません。

 一方、この雨のおかげで商売が繁盛している人もいます。それはバイクタクシー屋さんです。公共交通がなく、細い土砂崩れの道を進むためにはバイクが唯一の手段です。そのため値段が非常に高いのです。村の人々だけでなくJENもバイクを利用することがありますが、先日はなんとたった2キロメートルの道のりの料金で7ドル(約700円)も しました。非常に高いバイクタクシーですが長い距離を歩くのが難しい老人、女性、子どもや病気の人には欠かせない交通手段です。

11月 26, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年11月19日 (木)

KUCHINGとANJING

091112_kocing_5  日本では犬や猫と家族同然に生活することがよくあります。しかし、ここインドネシアでは、家やレストランに猫がいるのを見かけます。猫たちは勝手気ままにあらゆるところにいて、そこで生活している人々もほとんど気にしない、というような状況です。猫たちは特に子どもたちと仲が良く、遊んでいる姿をよく見かけます。彼らは、猫のことをKUCHING、犬のことをANJINGと呼びます。

 私たちは両親に、この猫や犬は予防接種をうけているのか?と尋ねました。予防接種、の意味がわからなかったようなので現地語で聞くと、みんな口を揃えて “Tidak”と答えます。“Tidak”はインドネシア語でNOを意味します。

 予防接種を全くしたことがなくて、今まで動物を通じて病気になったことがないのか、と聞くと、今までそのようなことはなかったとのことです。

091112_kocing_6  他のイスラム教徒の国、パキスタンやアフガニスタン、イラクでは動物の近寄ることをあまりしません。パキスタン出身である私は、インドネシアの人々が動物とともに暮らす様子を不思議に感じます。

11月 19, 2009 事務所・スタッフ文化、生活、習慣インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年11月12日 (木)

インドネシア 緊急支援活動報告会 開催!

 2009年10月7日に3名のスタッフがインドネシアのスマトラ島の被災地パダンへ、緊急支援のために現地入りしました。JENが支援を始めた地域は、パダン市街から100キロほど北にあるパリアマン地区です。10の村の約1,500世帯に対して、瓦礫(がれき)の撤去やシェルター建設に役立つ大工用具19点とユニセフの衛生キットの配布をしました。

 大地震が発生して約1カ月。被災地の人々の生活の立て直しは、これからが本番です。JENは、今後、現地の人々のニーズに合う支援を実施するために、支援の届いていない地域に暮らすより多くの人々へ緊急支援物資を配布するプロジェクトと併せて、被災したコミュニティの人々の心のケアを含む、学校での防災教育も実施する予定です。

 報告会では、震災直後より現地で緊急支援活動に携わった渡邊千紗・浜津裕香より、現地で撮影した地域や被災地の写真・映像を交え、現地の状況、人々の声、ならびに進行中のプロジェクトについて、報告させていただきます。

■報告者: 渡邊千紗 (海外事業部 プログラムオフィサー)
 浜津裕香 (国内事業部 リレーションシップ開発担当)
■日時: 11月13日(金) 18:30~20:30
(受付:18:00~)
■会場: JEN東京本部事務局
 東京都新宿区揚場町2-16第二東文堂ビル7F
(JR、地下鉄 飯田橋駅徒歩4分)
■参加費: JEN&JSC会員(無料)、非会員(500円)
■定員: 25名
■お問い合わせ・お申込み:
電話またはE-mailで、東京本部事務局(担当:池田・濱坂)まで、氏名、ご所属、ご連絡先を
お知らせください。(Tel: 03-5225-9352 / E-mail:
info@jen-npo.org

JENのインドネシアでの活動をもっと知りたい?
くわしくは、こちらを

http://jenhp.cocolog-nifty.com/emergency/cat21582655/index.html

11月 12, 2009 事務所・スタッフ企業の皆さまからのご支援支援物資配布インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月29日 (木)

危険区域

 ジェンは崩壊的な地震の被害を受けた西スマトラ島の住人に対して支援を行っています。大量の家々が崩壊し、地震から約1ヶ月経った今でも人々は近所の人と共に仮設避難所、モスク、学校などで生活しています。地震の影響により、多くの商店、学校、会社も崩壊しました。

 ジェンは地方の中心都市であるパダンシティーを拠点として活動しています。パダンシティーはインド洋に大変近い場所にあるため、余震の恐れがあります。このような余震により、津波が発生する可能性もあります。そのため、政府は海辺に面する全ての地域を危険区域としました。海辺の近くに住んでいた裕福な人々は、家から非難をして中心都市で暮らしていますが、貧しい人々は高価なパダンシティーの中心都市で生活する余裕がないため、いまだにそこに留まっています。

 このため、パダンの中心地では空き家がほとんどなく、残っているいくつかの空き家は高い家賃で貸し出されています。パダンシティーに滞在しているJENを含んだ多くの国際NGOは立地の良い家を探すことが困難な状態です。JENは今事務所探しに奔走していますが、危険地域に住むべきなのか、治安状況の悪い地域に住むべきなのか、あるいはホテルに滞在し続けるべきなのかの選択に苦しんでいます。

10月 29, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月26日 (月)

<<速報>>インドネシア:ツールキット使用中@PASAR BALAI KUDU村

 「もちろんよ。自分たちではとうてい買えないわ」

 ジェンスタッフの「ツールキットは役に立ってますか?」という質問に対して村の人からこんな返事が返ってきました。早速、道具が使われている様子を見て、私たちも嬉しいと同時に今後の支援について思います。

 村では、各家々で、家族や近所の人びとと助け合いながら、瓦礫の撤去や簡易シェルター、テントを作り始めています。もうすぐやってくる雨季の前になんとか作らなくては、と力が入ります。

 地震から3週間。支援物資の確保にひたすら懸命だった時期を過ぎ、村の人々は、これからの生活のこと、住むところのこと、子どもたちの教育のこと、将来のたくさんのことを考え始めています。今日、村で会ったお母さんASNIARさん(50歳)は、義理の息子たちに囲まれて、瓦礫の掃除をしていました。私たちと話していると急に涙を流してこういいます。「地震で家を失ったときにはこんなに悲しいことはないと思ったけれど、皆が私を気にしてくれるから、今はとても幸福です。でも、これからのことを思うと不安で眠れません」

 地震後の人びとの生活はこれからが本番です。ジェンの次期プロジェクト案の作成も大詰めを迎えています。
スタッフも村でのニーズ調査やインドネシアの役所との調整など、現在行っている配布事業と並行して飛び回っています。

 皆さま、これからも引き続き、よろしくお願いいたします。

(画像は後程アップします。ネット環境が弱くアップできません、、、)

10月 26, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月22日 (木)

<<速報>>インドネシア:学校のはなし

 Img_0282 みなさま、ご無沙汰していてすみません。

 日々、フィールド(支援エリア)への移動で思うようにネットへアクセスできず、ご報告が遅くなりました。

 その間にも、毎日、アセスメントと配布が続いています。ジェンでは、今後、数日で、パリアマン地区の10村、合計約1600世帯に対してツールキットとユニセフの衛生キットの配布を完了する予定です。 また、配布と並行して、目下、次期のプロジェクト案を作成中です。内容が決まりましたらまたこのブログでご報告します。

 さて、今日は学校の話をしたいと思います。

Img_0297_3  アセスメントや配布で村を訪れると、必ず学校があります。そのほとんどが全壊です。生徒たちは、壊れた建物の中や道路わきに机やイスを並べたり、校庭にテントを建てるなどして勉強しています。

 そのうちのひとつ、SDN INT’L 07 GUGUS III小学校では、マルシア校長先生にお話しを聞くことができました。先生は、私たちを見つけると、「話しを聞いて欲しい」と言って駆け寄ってきてくれました。

 マルシア先生が教える小学校では、6歳~12歳まで約130名の生徒が通っています。地震後、学校では、多くの子どもたちが学校に来なくなり、来ても勉強に集中できず、授業の途中で外に出たり家に帰ったりするそうです。

 暑いテントの中で、家族や地震のことを思い出して泣き叫ぶ子どもたちもいます。そんな状況もあって、地震の前は7時~13時までだった就学時間を、今や7時~10時に短縮しているとのこと。教科書やノート、学校に着てくる洋服も全て瓦礫の下。教材もチョークもホワイドボードも、今はありません。この地域の人々は主にお米を作って売って暮らしていますが、生活は苦しく、住むところさえない今、子どものための学校道具を再び買いそろえる余裕はありません。校長先生は、自分の貯金を使って、かろうじて学校のイスや机を購入しました。今はそれが精一杯だそうです。

 先生はこう言います。子どもたちが学校に戻れるように私たちをサポートして欲しい、と。We don’t know what to do. という先生は、子どもたちが地震の体験を忘れることができる環境が欲しいといいます。子どもたちばかりでなく先生方も被災の傷を心に抱えていて、勉強する環境もなくなってしまった今、楽しく遊びながら学ぶこともできるプログラムやツールが必要だといいます。また、被災したことのある地域の先生方との情報交換も有効だといいます。日本から何か学べることはないか、と熱心に語ります。

 地震から約3週間。緊急支援は終盤に入り、マスメディアでの報道も減って来ましたが、ジェンをはじめとする数々の支援団体は、「人々の生活を支える支援はこれからが本番」と、互いに連携しながら着々と次のステップへの準備を始めています。

 この速報を呼んでいてくれている一人ひとりの皆さまに。

 これからもよろしくお願いいたします。

10月 22, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月15日 (木)

<<速報>>インドネシア:今回の配布について

131009_img_0100_low  今回の緊急支援は、ユニセフ、日本政府、ジャパンプラットフォームとのパートナーシップで実現しています。そして、現地スタッフと、プロジェクトリーダーのアズマットを中心に、多くのことが同時並行で迅速に進んでいます。

 昨日(10月14日)は、この緊急支援の大きな転換期になりました。ツールキットと衛生キットの配布をはじめることができたのです。配布地域は、パダン市街から100キロほど北に行っくパリアマン地区です。ここは、パダン市内よりも被害が大きく、すべての家屋が半壊あるいは全壊であるにもかかわらず、まだまだ支援が不足しています。地震から10日以上たっているにもかかわらず、支援物資を届ける2番目の団体になりました。

 昨日はまた、岡田外相がジェンの支援地域を訪問。偶然にも物資配布スタートと重なりました。

 配布物資はツールキット(シャベル、かなづち、のこぎり、ペンチ、はさみ、リアカーなど)と、ユニセフの衛生キット(石鹸、雑巾、バケツ、歯ブラシ、歯磨き粉、タオルなど)です。

 今日はまた同じパリアマン地区のコラム・ジャニアン村と、タラウ村でも家庭を訪問しました。これらの村での物資配布は明日になります。今回のプロジェクトでは、全部で10の村に配布を予定しています。

(パダンより、浜津由香)

10月 15, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月14日 (水)

<<速報>>インドネシア:本日、支援物資配布を始めます

141009_img_0128_low  被災者へのインタビューによると、食べ物や水はインドネシア政府や国際機関からの支援で足りてる模様です。問題は、住むところ(瓦礫と化した家の中や野宿を強いられているため)とこれからの生活です。

 ジェンは現地の状況と地域の人々へのインタビュー、他のNGOと国際機関と連携そして情報を共有しながら、まず瓦礫を撤去し簡単なシェルターをつくれるキットと衛生用品を本日から配布します。これは、緊急措置にすぎず、同時に次期プロジェクト計画のためのアセスメントも行っています。必要な物資のみならず衛生状況を正確に把握し、また地震によるトラウマの有無や、関連機関との支援活動状況もヒアリングしています。

 昨日ミーティングを持ったあるフランスのNGOのスタッフは、ジェンがツールキット配布を始める、と聞き、非常に喜んでいました。彼らは今後、家を立てるトレーニングのプロジェクトを計画してるそうです。しかし地震の後、この辺りでは物価が急上昇し、物の値段が80パーセントも値上がりしています。

 住民は、家を再建したり瓦礫を除去する道具を買えるほど蓄えが十分でないため、「これは助かる!このパートナーシップはミラクル!パーフェクト!!」と、ボディランゲージを交え歓喜に沸いていました。

 世界から集結している国際援助団体や国連機関が、有機的な連携を進めることで、効果の高い支援と、そのスピードが加速するのです。

(パダンより、浜津裕香)

10月 14, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月13日 (火)

<<速報>>インドネシア:アセスメントをはじめました

131009_img_0140_low  11日は、配布を予定しているがれき撤去用の工具を仕入れるために、業者さんと交渉を行いました。と同時に、支援機関の拠点となっているガバナーズハウスでの情報集めや関係者との情報交換、および、現地スタッフの採用面接を行いました。

 昨日より、パダンから車で2時間のパリアマン地区のバライ・パサー・クドウ(BALAI PASAR KUDU)村にアセスメントに来ています。一昨日、JENの現地スタッフとなったフェルナンドは、早速、テキパキと動いてくれてて、我々のサポートをしてくれています。

 昨日に引き続き、今日も三班に分かれてアセスメントを実施します。今日中に終わらせ、明日配布を目指しています。

(パダンより 浜津裕香)

10月 13, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

<<速報>>インドネシア:被災地に向かう車中より、報告します

131009__img_0180_low  11日に、現地に到着した浜津です。

 パダン市内から、フィールドに向かう車の中です。活動の拠点となっているパダン市内の被害状況は比較的軽いです。ところが、ここから離れる程ダメージが大きいです。一昨日よりJENが調査を行っている地域は、ほとんどの家屋が半壊または全壊です。

 人々は、みな壊れた家の中で生活しています。2次災害の可能性を想定すると、きわめて危険な状態です。家の外で寝ている人もいます。巨大な家を自分の力で建て直そうとしている人もいれば、お金がなくて途方に暮れている人、地震の恐怖から、家にこもっている老人を数人見かけました。

 なるべく早く、緊急支援物資の配布にこぎつけたいです。

(パダンより、 浜津裕香)

10月 13, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月 9日 (金)

<<速報>> ニーズを探る

 地震から一週間が経ちました。国連による調整は、避難所部門、教育部門、食糧部門、健康部門といったクラスター(サブグループ)ごとに分けられています。

 配布を担当している各団体が集まり、必要とされている量や配布する時期に関しての情報を共有しています。調整を行う上で要になることは、配布の時期と、その地域の選定です。「誰が、どこで、何をするか」、特に食糧分野や医薬品分野以外の配布では、そのボリュームを正確に把握することが重要です。

 日毎に、というよりも、緊急事態の場合、分刻みでニーズが変わります。我々は、常に最新の情報を入手し、被災者へ支援を届けるための準備を作り上げます。現時点では、まだ被害状況の全貌が把握できていません。数日中に、全体像を得る予定です。現時点では、国連機関とJENをはじめ多くのNGOが、シェルターが最もニーズの高い、と考えています。

 幸い、ここでは良い天候が続いています。家を失った人々は、この天候のおかげでなんとか穏やかに生活を送れています。しかし、みなが口をそろえ激しい雨を恐れている、と言います。

 被災者の方々が安心できるよう、出来るだけ早い物資の配布をすることが当面の目標です。(シリル・カッパイ)

10月 9, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

<<速報>> ガバナーハウスにて

 大きな災害が起きたとき、他者との調整が成功を握る鍵となります。パダンでは、国連がガバナーハウスでの調整を取り仕切っています。

 ここでは、日本、フランス、ドイツ、アメリカ、イギリスといった各国からの驚くほどたくさんの人道支援機関や記者団が集まり、情報を仕入れ、ワイヤレスのインターネットを利用しています。

 人々はあちこち走り回っており、たくさんの異なった言語が飛び交っています。私の左では二人のイタリア人が大声で会話をしており、NGOの四人のイギリス人男性が書類をプリントアウトしようとしています。また、見知らぬ制服を着た三人の軍人が地図を眺め、国連スタッフは次の会議の告知を行っています。

 このオープンエアーの大きな部屋には、何千本ものケーブルが床を埋め尽くしています。大きなテレビ画面には先日の地震についてのニュースが流れています。私たちは、国連との調整、支援の策定、本部に送る最初のレポートの作成など、諸々の重要な業務のために、ここを訪れています。(シリル・カッパイ)

10月 9, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月 8日 (木)

<<速報>> インドネシア:命あればこそ

Img_5751_low  昨夜、インドネシアの地震被災地スマトラ島パダンに到着しました。驚いたことに、到着直後に直面した風景は典型的な自然災害後の風景というよりは至って平常なように見えたことです。

 というのも建物の倒壊状況がまちまちで、完全に倒壊している建物もあればまったく影響を受けていない建物もあったからです。各国の緊急救助隊は継続して瓦礫撤去をしながら人命救助を続けています。

 あるホテルでお茶を飲みながら現地の家族と話をしました。お父さんは地震のことをこのように語っています。

 「私は地震ですべての財産を失いました。今は家も車もありません。けれど家族全員無事だったので私は幸せです。この地震で私は生きていることのすばらしさを実感しました。私はもう年寄りですが命がある限り、また何かを始めることができます。私の隣人は奥さんも子どもも失ったそうです。彼はまだどうやって立ち直ったらいいのか途方に暮れています」

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10月 8, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

<<速報>> インドネシア:現地での調査を開始しました

Img_5744_low_2  緊急支援のために出発したジェンチームから速報が届きましたのでお伝えします。

 パダン市内の水道設備は完全に倒壊している状況です。フランス、ドイツ、ニュージーランドからの救助部隊は現在、大規模に水供給活動を行っています。しかし、この活動は一時的なもので、まだ復旧の目処が立っていないにもかかわらず、近日中に停止される予定です。今後、パダン市内は引き続き深刻な水問題に直面するであろうことが予想されます。

 電気に関しても、パダン市や周辺の町のほとんどは、使用不可能な状態が続いています。そのため、人々は発電機に頼り避難生活を続けています。今のところ、電気も復旧の目処が立っていない状態です。

 この地震による被害者は全部で150万人を超えると言われています。アクセスが難しい、もしくは寸断されている地方の村への支援が重要課題です。ジェンは都市部から離れた支援がもっとも必要な村への調査を明日より行います。

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10月 8, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

<<速報>>インドネシア:スタッフが被災地に到着

10月7日、シリル・カッパイ(海外事業部長)、渡邊千紗(海外事業部 プログラム・オフィサー)が、現地に到着。

081009_img_5751_low_2 写真は、10月8日のパダン市内の様子。

                                                           

                   

     

     

     

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10月 8, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月 6日 (火)

<<速報>>インドネシア スマトラ沖地震 緊急支援速報

本日、日本から2名のスタッフが現地へ向けて出発しました。

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シリル・カッパイ(海外事業部長:フランス出身)

渡邊千紗(海外事業部プログラム・オフィサー:東京都出身)

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現地の状況は、情報を入手次第、随時支援速報にアップしてゆく予定です。

緊急支援募金へのご協力をよろしくお願いします。

クレジットカードによるご寄付は、こちら

10月 6, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |

2009年10月 2日 (金)

<<速報>>インドネシア スマトラ沖地震 緊急支援を開始します

 JEN(本部:東京都新宿区)は、9月30日にインドネシアで発生したスマトラ沖地震への対応として、緊急支援を開始します。

9月30日朝(日本時間午前10時)にインドネシアのスマトラ島パダン市沖で大地震が発生しました。現時点で確認されている死者は1100人、インフラへの被害が甚大で、多くの人が瓦礫に埋まっていると報道されています。今後、被害はさらに広がると見込まれます。

 今回の緊急支援への対応として、シリル・カッパイ(海外事業部部長)、渡邊千紗(海外事業部プログラムオフィサー)、アズマット・アリ(海外事業部プログラム・オフィサー)が出動します。

JENは、このたびの緊急支援に対し、緊急支援募金を受け付けています。

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皆さまからの ご支援を よろしくお願いいたします。

10月 2, 2009 インドネシア スマトラ沖緊急支援 |