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2014年3月11日 (火)

ハイチ中にオートバイが広がった理由

 1990年代の後半までハイチではオートバイは殆ど見かけられなく、人々の交通手段は徒歩でした。1996年から1997年に、現在上院議員で当時ジャクメルの貿易業者だったエド・ゼニー氏が、失業している若者たちを助けるため、生計手段を目的としてオートバイを提供しました。
それは、オートバイを受け取った若者たちが、時間をかけて利息付きでバイク代を返済するシステムでした。しかし、ゼニー氏はこの時、どれほどオートバイが国中に広がるかは予測していなかったでしょう。
 2000年には、オートバイ販売店が首都ポルトー・プランスや地方の町で増加し、交通量も急速に増えてきました。これは後に、治安面の問題等、警察が統制できない状況となり、更には大気汚染によって既存の農作物の生産率を低下させました。
 警察の報告によると、バイクに関する負の側面として、犯罪者たちの移動性を高めることで、特に首都ポルトー・プランスでの治安が悪化しています。バイクに乗った強盗たちは一人で盗みをするだけでなくグループで窃盗団として行動することも可能です。犯罪以外にも、バイク関連の事故も大きな問題があります。運転教習を受けていない無免許運転手が多いため、事故による死亡率は武器等による死亡率より高くなっています。
 また、ここ数年、バイク問題ほど深刻ではありませんが、新たな社会現象がハイチで見られます。それは、現地のクレオール語で‘チョフェ・ハス・ドワット’と呼ばれており、若い男子が学校を中退し、田舎の家を離れ、出稼ぎのためポルトー・プランスでトラック運転手になるということです。
 バイクを利用したバイクタクシーとトラックの運転手が増える二つの社会現象によって、農業に従事する人数が減少しています。ある報告によると食糧生産率が50%も減った地域もあり、多くの農家は家族を養える収入を得ていません。国中の失業率が高い今、手っ取り早く稼げるバイクタクシーやトラックを運転して得られるわずかな金額は、多くの家庭にとって重要な収入源なのです。

3月 11, 2014 ハイチ |