ハイチからの2度目の離任
私はもうすぐ、JENハイチ事務所から離れます。
最初の赴任(2010年3月から2011年7月)に続き、JEN ハイチ事務所での2回目の任期(2012年3月から2013年11月)がもうすぐ終わろうとしています。
こう書いてみて、この国ですでに計3年が経つことを改めて実感します。
このハイチでの3年間で、本当にたくさんの変化と、そして改善点を見てきました。
2010年1月の大地震直後から今日まで、この4年間に本当にたくさんのことがありました。
2010年のハリケーントーマス、2012年のアイザックとサンディ、2011年10月からのコレラ大流行、議論を巻き起こした大統領選や政治危機、社会不安や隣国ドミニカ共和国との複雑な関係など、どれも興味深く、また強烈な経験でした。
壊滅的な大地震からの復興途上で様々な問題がある中、更にこれらの様々な厳しい状況が重なりました。
このような諸々の問題にもかかわらず、ハイチは着実に前に歩みを進めています。ポルトープランスからグランゴアーブまで2時間で行けてしまう今日では、かつて5時間かかっていたことが信じられません。
また、国道沿いや公共広場に広がった臨時キャンプ、その他の被害地域が一面がれきで埋まり、被爆後のような光景が広がっていたことも、今となっては想像し難いです。
今日では、多くの人が新たに居を構え、広場や道路は新しくなり、ソーラーパネルによって充電されたバッテリーによって夜でも明かりが灯るようになりました。
また、支援業務に携わる私自身とJENハイチ事務所にも、大きな変化がありました。
私は、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の協力を得たプロジェクトのプログラム・オフィサーとして働き始め、JPFとJICAの協力を得た大きな水衛生プロジェクトの責任者となりました。 一度離任後ハイチに戻ってきてからは、レオガン市中心部の道路修復のためのJICA/八千代エンジニヤリングそしてJENが共同で行うプロジェクトの責任者となり、最終的にJENハイチでの統括責任者となりました。
今日まで、事務所の移転を何度も行なった背景から、ポルトープランスで4つ、グランゴアーブでは1つ、そして今チーム全体が再結成されているレオガンでは2つの事務所で働いたことになります。
チームとしては、日本の外務省の協力を得て行う現在の活動より以前は、JPFの7事業とJICAの3事業を終了しました。(*)
私はJENハイチ事務所がこれからもより多くのプロジェクトを実施することを願うと同時に、同僚の今後の健闘を祈ります。
フランス語に「never 2 without 3」(2度あることは3度ある)という言い回しがあります。
将来ハイチに戻ってくるとは言えませんが、色々な意味で難しくてそれでいて魅力的な国、ハイチのことは決して忘れません!
ロマン・ブリー
(*)JENのハイチでの支援活動は、様々な国際機関、日本政府および皆様おひとりおひとりからの支援金によって実現しています。この場をお借りしてお礼申し上げます。
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