地震「グドゥグドゥ」(※)から1年半
デラジン・マリー・ルイスさん(以下Mさん)へのインタビュー
ジェンスタッフ:こんにちは。自己紹介をしてもらえますか?
Mさん:こんにちは。私は、グランゴアーブ出身のマリー・ルイスです。35歳で、妻であり、4人の子の母親でもあります。
グランゴアーブに住んで14年目になります。
ジェンスタッフ:地震が起きた時はどこにいましたか。また、その後どうしましたか。
Mさん:地震発生時、私は自分の子ども2人と他3人の友達と一緒に家にいました。
私は、2人の友達と台所にいて、突然大きな揺れを感じました。急いで家を飛び出し、子どもたちにも外へ出るように呼びかけましたが、子どもたちは家の奥に隠れてしまいました。
転びながらも子どもたちを外に連れ出し、幸い私の家にいた全員が無事でした。
私の家はそれほど被害が大きくなく、窓が割れただけでしたが、周りの家は倒れていて、人の叫びや悲鳴が聞こえました。
地震直後には着の身着のままで町を出て田舎の方に避難しました。それから3か月間、65―70家族と合同でテントの下で暮らしました。
余震は毎日続き、2時間ごとに来ることもありました。一度、いくつかの持ち物を取りに家に帰りましたが、長くはいることができませんでした。近所の家は何か月も誰も戻らず留守のままでした。
3か月後に私はやっと家に戻る決意をしましたが、ほとんどの人は帰るのを怖がり、また帰る家がなくなってしまっているという状況でした。
ジェンスタッフ:この地震で多くの知人は影響を受けましたか?
Mさん:首都のポルトープランスに住んでいた私の叔母さんと叔父さんはビルの下敷きなり、亡くなりました。
レオガンに住む友達も、同じく働いていた学校が崩壊し亡くなりました。
ハイチ全体で多くの犠牲者が出ましたが、私の住むグランゴアーブでは6人ほどが犠牲になったようです。
ジェンスタッフ:ハイチの今後の未来をどのようにお考えですか。
Mさん:まったくわかりません。ハイチの、特にリーダーが頼りなく・・・何も進んでいないように見えます・・・
正直わかりません。
ジェンスタッフ:地震直後にハイチ支援に来た国際組織のことをどう思いますか。
Mさん:とても良い支援活動をしてくれていると思います。
例えば、JENは生きるのに重要な水を提供してくれました。
そのほかにTerre des Hommesという団体は子供を助け、OIMという団体はキャンプに住んでいた人のために家を建て、Samaritan Purseという団体はトイレを設置してくれました。
ジェンスタッフ:あなたは何がハイチの復興を遅らせていると思いますか。
Mさん:そうですね、ハイチの教育施設の数の不足だと思います。
特に首都のポルトープランスでは多くの子供たちが路上生活を送っていて、学校にも通っていません。
そして、道はごみで溢れています。
基本的な衛生教育が必要だと思います。
(※):ハイチの人々は大地震のことを「グドゥグドゥ」と呼びます